2026年5月11日
使命は、現場が教えてくれる。
ある日、結婚式の着付けのお問い合わせをいただいた。 依頼主は、ご結婚されるご新郎様のお姉様。 着付けの対象は、ご新郎様のお母様。 健康上のご事情から、普段はベッドに寝たままとのことだった。
「車椅子着付け」という存在を知り、新郎の母として弟の晴れ舞台に黒留袖で参列させてあげたい。 そういうご依頼だった。
「慶んでお引き受けします」 そう、お答えした。
二日前の、ご連絡
ところが、結婚式の二日前。 お姉様から、ご連絡が入る。
「母の体調が悪化してしまい、遠方の病院に入院することになりました。 結婚式の会場まで、行けないかもしれません」
お母様がこの日を心待ちにしていらしたことを、伺っていた。 このまま諦めさせてしまうのは、あまりにも惜しい。
「もし会場まで行かれるのが難しければ、私が病室にお伺いして、留袖をお着せしましょう。 結婚式は、リモートでご参列いただけます」
お姉様は、願ってもない提案だと、喜んでくださった。
ただ、ひとつ問題があった。 参列を諦めて、レンタルしていた留袖を、すでにキャンセルしてしまわれたとのこと。 新しく手配するには、もう間に合わない。
「私が所有している黒留袖でよろしければ、一式お貸しいたします。 新しいものではございませんが、おめでたい場にふさわしい一着です」
電話の向こうで、お姉様の声が、震えていた。 「なんとお礼を申し上げたら良いのか。ぜひ、お願いします」
ご子息様の、人生の大きな節目。 お母様が健康でいらしたら、迷うことなく、黒留袖で参列なさったはず。 その願いを、なんとか叶えて差し上げたかった。
諦めかけた一日を、もう一度
式の前日。深夜。 お姉様から、再びご連絡が入った。
「体調が回復しました。 病室ではなく、会場へ向かいます」
すぐに、車椅子着付け師二名に状況を共有した。 電話越しに、三人で歓喜した。
当日。 待ち合わせのホテルのロビーで、お母様の到着をお待ちする。 お体への負担を考え、短い時間で確実に着付けが行えるよう、段取りを入念に確認していた。
しかし、約束のお時間になっても、お母様が現れない。 お父様にお電話を差し上げると、遠方からの道が渋滞しているとのこと。
三十分が過ぎた。 このままロビーで待っていては、親族紹介に着付けが間に合わない。
急遽、ホテルのスタッフに事情をお話しし、お父様のご了解のもと、 着付けのために確保していた客室に先に入らせていただき、準備を始めた。
スペースを広く取り、持参したスーツケースから黒留袖一式を出す。 袋帯を、僅かな時間で作り帯にセットする。
ほどなく、ご両親様と介助の方々が、到着された。 車椅子は、リクライニングできるタイプ。
まずはベッドに横になっていただき、その間に車椅子に着物の準備を素早く整える。 バスタオルを敷いた上にお母様に横になっていただき、バスタオルごと車椅子に移乗。
チームワークで、あっという間に、黒留袖姿のお母様に。 ヘアセットは、ウィッグを使って、ボリュームを出して差し上げた。
お母様のお顔が、ふっと、晴れやかになった。 そのお姿を見つめるご主人様、そばで支えていらした方々の表情も、ほころんでいた。
式に、参列して欲しい
親族紹介を無事に終え、集合写真の撮影が始まる。 そばに同席し、衿元や裾を整える。 大切なお写真。お母様の着姿を、精一杯、美しく整えて差し上げたかった。
ご親族の集合写真のシャッター音を聴きながら、胸が熱くなった。
式場へ向かわれるとき、お姉様から、思いがけないお言葉をいただいた。
「今日は、本当にありがとうございました。 素敵な留袖まで貸していただいて、なんと申し上げたらよいか。 よろしければ、皆さまには、式にも参列していただきたいです」
急遽、結婚式そのものに、ご一緒させていただくことになった。 こんな時、モノトーンの仕事着にジャケットを羽織れば、フォーマルな装いに見える。
厳かな式場。 最前列で見守られる、お母様のお姿。 ご新郎様の凛々しい紋服姿を、誇らしげに見つめていらっしゃる。
その光景を、車椅子着付け師たちと一緒に見つめていた。 着付け師たちの顔つきが、会場に着いた時とは、明らかに変わっていた。
式が終わり、一人が、ぽつりと。
「車椅子着付け師の使命が、わかりました」 「何で、私が車椅子着付け師になったのかが、いま確信できました」
自分の仕事の意味を、自分の言葉で、語ってくれた。
使命というのは、頭で考えて、見つかるものではない。 誰かに教えてもらうものでも、ない。 現場に立ち、お客様の人生の一日を支える、その経験のなかで、はじめて、気づき、見出せるもの。
「呼ばれる」ということ
着付けは、単独で完結する仕事ではない。 お客様の人生の一日があって、その一日のために、呼ばれる。
呼ばれるかどうかを決めるのは、技術だけではない。 「諦めかけていた一日を、もう一度、かたちにし直す」 そう、使命感と誇りを強く持って、現場に立つ着付け師がいるかどうか。
車椅子をご利用のお客様の、晴れの一日。 そういう場面に、何のためらいもなく、挑める着付け師がいる。 車椅子着付けのことを、もっと多くの方に、知っていただきたい。
使命と、3センチ特別
人生には、何度もない、大きな節目がある。 結婚式は、その代表のひとつ。 そして、その節目に立ち会える機会は、誰にとっても、限られている。
健康上のご事情で、当たり前を、当たり前にできない不自由がある。 立つことができない。座ったままで臨むしかない。 だから諦める、では、もったいない。 車椅子のままでも、黒留袖で、母として、その場に。
それを、当たり前に支えられる着付け師がいるということ。 それ自体が、ご家族にとっての、3センチよりも大きな特別になる。
そして、その一日を支えた車椅子着付け師たちにとっても、自分の仕事の意味を、自分の手で発見した、3センチよりも大きな特別になる。
使命は、現場が教えてくれる。 誇りも、現場が教えてくれる。 頭で考えて出てくるものではなく、お客様の人生の一日に立ち会ったときに、はじめて、見えてくるもの。
つくづく、そう感じた、ある日の結婚式。