2026年5月5日
タンスの中の、3センチ特別。
タンスの引き出しを、久しぶりに開ける。
畳紙(たとうし)に包まれた、何枚もの着物。
母から譲り受けた、訪問着。 義理の母から譲り受けた、訪問着に付け下げ。 嫁入り道具に持たせてもらった、色無地。
そっと触れて、また閉じる。「いつか着る日が来るかしら」と思いながら。
そんな風景は、きっとどこの家にもある。
それは、すでに手元にある「特別」
「着物を着てみたいな」と、ふと思っても、そのままになってしまうことが多い。
仕立てるとなれば、まとまった金額。 レンタルするにしても、お式や行事のある日でないと、なかなか踏み切れない。
そうやっていつの間にか、「自分にはちょっと縁のないもの」として、頭の片隅にしまい込んでしまう。
けれど、買うでもなく、借りるでもなく、もう一つの選択肢がある。
一度、タンスを開けてみてほしい。 そこに、自分のための着物が、もうすでにある。
数十年前、誰かが「これを着てほしい」と願いを込めて選んでくれた一枚。 畳まれたまま、息をひそめて、出番を待っている。
新しく仕立てる必要はない。レンタルする必要もない。 タンスの引き出しを開けるだけで、特別な日の準備は始まる。
「柄が古い気がする」のも、悪くない
譲り受けた着物に袖を通そうとする時、よく聞こえるのが「柄が古いかしら」「色が地味かしら」という声。
確かに、今の流行とは違うかもしれない。 けれど、その「ちょっと前の時代の柄」が、かえって品格になる。
落ち着いた色合い、繊細な絞り、丁寧な意匠。 どれも、今では再現が難しいもの。
「古いから似合わない」ではなく、「歴史があるからこそ味わい深い」。 そう捉え直すだけで、タンスの中の景色は少し変わる。
着方は、忘れていてもいい
「自分では着られないから、たぶん着る機会もない」。 そう諦めていらっしゃる方も多い。
けれど、着方を覚え直す必要はない。 誰かに着付けていただくという選択肢が、ちゃんとある。
着付け師さんに来ていただき、鏡の前に立つ。 帯が結ばれていく音を聞き、衿が整えられていく時間。 その数十分そのものが、もう「3センチくらいの特別な日」のはじまり。
着ていく場所は、自分でつくる
「着物を着ても、行く場所がない」。 これも、よく聞こえるお声。
けれど、行く場所がないのではなく、特別な場所を「自分で決めていない」だけ。
友人とのお出かけ、ママ友とのランチ会。 母との観劇。 子どもの節目の行事。
「お茶を飲むだけ」「お芝居を観るだけ」のはずだった一日が、 着物を選ぶというだけで、ちょっと特別な日になる。
それは、行き先のおかげではなく、装いそのものの力。 3センチだけ広がった非日常を、自分の手で作り出す感覚。
タンスを開けるという、はじめの一歩
新しく買う必要はない。レンタルする必要もない。 タンスの中に、すでに「特別」が眠っている。
母の手で丁寧に畳まれた、その時の想い。 義理の母が「いつか息子の大切な人に」と願いながらしまった、その想い。
それを、今日ここで、引き出して、もう一度着てみる。
「3センチくらいの特別な日」は、新しく買い足すものではない。 すでに自分の手元にあるものに、もう一度袖を通すこと。
タンスの引き出しを開けることが、きっとその第一歩。